「一寸の光陰軽んずべからず」、「光陰矢の如し」という”ことわざ”、”格言”がありますが正にそのとおりである。
人間は愚かなので先人たちの残したありがたい教えも、その時が来ないと実感できないのである。
人間100歳まで生きたとしても自由に使える時間は大したものではない。
一日のうち三分の一は睡眠しているとして単純計算(3600*24*365*100)*2/3とすれば2102400000秒、21億秒でしかない。
しかし自由な意思を持って活発的に動ける時間は幼少期と老年期を除く数十年の間でしかないのだ。
多くの人間は仕事もしなくてはならないし学校にも通う。まぁよくて10億秒程度だろう。
この貴重で短い10億秒を有効に使うか何となく過ごすかは自分次第である。
人間死ねば無になる。楽になるなんて思うかも知れないが無なのだから楽も無く苦もない。自我も無く意識もない。
1つの世界が消滅し自我を認識することも無く生まれ変わる事もない。
奇跡的にこの世に生を受け自分という意識を持つに至っわけだが、多くの人間は死が恐怖ゆえに死んでも意識は残るだろうと思い描いたところでやはり何も無いのである。
この短い限りある生の中で例え10秒たりとも無駄には出来ないのである。